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不幸を契機に運命を開く⑪(完)

(つづき)

たとえば、今話した高橋君が病気が治ったような、あるいは他の人がいろんなふうにして治ったような、そういうものが実証的に現われなければ、いくら教えを説いてもだめですね。

ところが教えを説いているうちに、みんな幸福になってくる。生活が安定してきたり、心が安らかになってきたり、恐れがなくなってくる。だんだん生活が変わってくるんです。

変わってくることは実証なんです。やっているうちに心が変わったり、人相まで変わってくるようなことは、実証されていることです。

要するに、効果があったということですね。私の宗教は現実的に効果があるんです。と同時に、知らないうちに魂も高くなってゆく。心も安定してゆく。

ただ商売を繁盛させたり、ただ病気を治すだけじゃだめです。それではいつまでたっても、自分に業想念がくっついているんだから。業想念がくっついたままなら、その場だけ治ったって、あとまた出てきます。それではだめです。

だから私は、今生において、私に一生ついてくる人は、必ず天国に上げようと思っているんです。それは何べんも言いますが、私は必ず上げようと思っている。これは嘘でもなんでもない。なぜそう思っているかというと、こっちは向こう(天)にいるんだからね。

要するに、我がなくなると、どういうことになるかというと、自分の体が大きくなるんです。

自分だけのことを思っている人は、五尺何寸の体きりないです。しかし、二人の人を思えば二人分になり、三人の人を思えば、三人分になります。五人思えば五人、百人思えば百人分の体になるんです。全部のことを思えば全部、つまり宇宙大になっちゃう。

だから少なくとも私は、これだけの人を思っていれば、これだけの人の体になっているわけですよ。ところが実際には、もっともっと多くの人のことを思っています。人類全部のことを思っています。それが″世界平和の祈り″になったんです。

皆さんが世界平和の祈りをすれば、皆さんは人類の全部になるわけなんですよ。自分の体は世界人類に広がってゆくわけです。真剣に世界平和の祈りをやると、自分は世界人類と同じなんです。宇宙大に広がるわけです。

もっと言い換えれば、光一元になってしまうんです。光の体になっちゃう。肉体に現われていて、実は光の体と一つになっちゃうんです。そうすると、自分の中に不幸がなくなっちゃうんです。消えてゆく姿だから、あったって、そんなの問題になりません。

本当に私の教えがわかると、過去世の因縁が現われてきたって、そんなの問題じゃないです。病気になったってなんでもない。貧乏になったって、なんでもなくなっちゃうんです。

それでいて、自然によくなります。商売をやっていれば必ず繁盛するでしょう。成果も上がるでしょう。ただ、完全になる過程としては、いろんなものが現われます。

しかし、教えを本気になって3年もやれば、いや、3年とは言いません。1年もやれば、必ずその人たちは、前の生活とまるっきり変わります。それはハッキリしています。高橋くんみたいに、ちょっとの間にパッと変わる人もあります。

(おわり)

五井昌久著『自由解脱への道―聖ケ丘講話』より