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実在界・霊界・幽界・肉体界について⑥(完)

(つづき)動物は神に隷属されたる物、人間は神そのものの分霊であること、本来自由自在なる者であることを、よくよく考えて感謝しなければならない。

さて、霊・魂・魄として三界に活動している分霊は、次第に肉体人そのものになってきて、肉体外の六官(直感)直覚(神智)の衰えを見せ、すべてを五感の感覚にのみ頼ることが習慣づけられ、五感に触れぬものは無いものと思うようになり、人間とは肉体であり、心(精神)とは、肉体の機関が生み出した働きであるとして、分霊の活動は分霊そのものとしては感じられぬようになっていった。

しかし、分霊と分霊とが本来は神において一つの者であったことが幽体に記録され、記憶されているのが意識を超えて思われ、肉体においては、はっきりと個々に分れていながらも、お互いがお互いのことを思い合う感情。愛は消えることがなかった。

この愛の狭い範囲の働きは、親子、夫婦、兄弟の間に、ひろくは、人類、社会の範囲に及ぼされている。愛こそ神へつながる道であり、光であり、本来の自己を見出すただ一つの感情、行為であった。

分霊は物質の世界、形の世界において、己自身の本来身、光(神)を忘れかけながらも、心の底から湧きあがってくる、人間本来一つの光の理念が、愛の思いとなり行為となって、わずかにその光を保っているのであった。

神の心を愛と呼び、業因の働きを執着と呼び、この二つの心が人間の生活を、幸と不幸に分けてゆこうとしているのである。(おわり)

五井昌久著『神と人間』より