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肉体は器であり場である

(前略)こうやってペンを取っている私と、私の中から種々とこの肉体の私に文章を書かせている私というものは、ひとつの私でありながら、実は一つでないことがあるのです。

これは話をしている時などもそうですが、お浄めをしている時などは、まるっきり主と従、師と弟子、光と器というように、はっきり分かれていて、しかも一つの働きをしているのであります。

ですから私は、私の肉体を、いつも神の器であり、場であるというのです。(後略)

五井昌久著『白光誌1972年7月号』より