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消えてゆく姿という言葉について

(前略)

消えてゆく姿という言葉は、

個人や人類の

本心開発のスイッチなのですから、

この消えてゆく姿というのを、

業生の小我の想いで

使ってはいけないのです。

消えてゆく姿というのは、

過去世から今日までの

自他の誤った想念行為を、

神の大光明の中で

赦して頂くためのものであって、

神さまに赦していただく

気持ちがなくて、

ただ言葉の上だけで、

「消えてゆく姿なのよ」

と言っても思っても、

それは効果がないばかりか、

他人の不幸や悩みを

鼻であしらうような、

冷淡な感じを人に与えるのです。

(後略)

消えてゆく姿という言葉は、

必ず神の大愛に

感謝しながらいうべきで、

愛念も感謝も無くして、

人に言って聞かせる言葉ではない

のです。

こんな素晴らしい赦しの言葉は、

今日まであまり無いのですから、

心で噛みしめて

使わねばいけないと思います。

(後略)

五井昌久著『霊的存在としての人間』より