(前略)
人間は神の分霊であり、
神の子であるのですから、
必ず救われる
に決まっているのです。
ただ今日までのように、
業想念波動の現われである
悪や不幸につかまっていて、
世の中は悪い、不幸な世界だ、
というように想いつづけていたり、
消えてゆく姿という
順序を踏まなければ、
神の子人間は現われないのに、
ただやたらに
神の子完全円満と思おうとして、
事実はなかなかそうならないので、
ついには自己や他人の不完全さに
打ちひしがれたり、自他の現象を
ごまかしの眼で見て、
あたかも自分は神の世界に
そのまま住んでいるのだ、
という印象を
人に与えようとするような
偽善者、不正直な人に
なってしまっては、
人間の真(神)性は
現われてはまいりません。
人間は、この現象世界は
そのまま素直にありのまま、
善は善とみ、悪は悪とみ、
不幸は不幸とみてよいのです。
(つづく)
五井昌久著『霊的存在としての人間』より