(前略)現象の動きにいちいち戸惑って、なんだかんだと心を騒がせている生き方こそ、自己の平和を乱すものであり、枝葉の動きにつれて、根本を常に動かしている国の生き方なども、正しい生き方とはいえないのです。
神は大光明心です。
大愛です。
大調和心です。
この神の在り方を信じなければいけません。
神の愛を疑いながら、神を呼ぶよりは、神のみ心に全託して、そのまま自己の生活に一心になって打ちこんでゆくことのほうが、その人の永遠の幸福につながる生活です。
神のみ心に全託するようになるためには、日頃からたゆみない世界平和の祈りが必要なのです。
自己の想念の習慣を、世界平和の祈りによって、常に神の大光明波動の中に住まわせる習慣にしてしまうことです。そういたしますと、次第に心に不安がなくなってくるのです。(後略)
五井昌久著『平和を呼ぶ声』より