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神と人間の関係④

(つづき)昔のわたしがそうであったように、世界の人びとの大半が、人間とは肉体そのものであり、精神とは肉体の中に存在する、ある機能の働きである、と思っている。人間とは五十年、六十年、社会に生存していて、後は灰になり無になってしまうもの、と思い込んでいる。

はたして、人間は肉体の滅亡をもって、最後の終止符になるであろうか。

私は即座に、否と答える。

なんとなく偶然にこの世に生まれ出て、食べたり飲んだりして肉体を維持し、ただなんとなく社会生活を営んで、妻をめとり夫に嫁し、子を生み育て、そして死んでゆく。人類の大半はこのような生活を繰り返し繰り返し、今日に至っているのであるが、それでは済まない何か、漠然とした不安の想いが、その大小にかかわらず、人びとの胸の中に去来しているのではなかろうか。

このような生き方ではあまりにも無意義であり、無目的でありすぎる。このような生き方の他に何かある。何があるかわからない。わからないが、またわかろうと積極的に思わない。

こうした想いが一般人の心であって、その中の少数の人たちが、そのままでは済まされずに、社会改革に乗り出し、思想活動に加わり、また一方の少数人は、自分自身の心の内面に立ち入って、深く突きつめ、神を知り、霊を知るに至る。

ともに、現況における心の苦しみを突き破ろうとしての動きなのである。(つづく)

五井昌久著『神と人間―安心立命への道しるべ』より