(つづき)
といっても、たいがい自分でつくる自信がないでしょ。
たとえば自分が貧乏でもって、食べるのにやっとだという人が、急にお金持ちになるということは考えられませんでしょう。
そうしたら、そういう運命ごと神さま(※この場合は守護の神霊)に任せちゃうんです。
「神さま、どうか私の天命を完うせしめ給え、どうか社会国家人類のために役立つ人間にさせ給え」
あるいは「愛深い人間にさせてください」とか、自分の想うことを神さまに訴えるつもりで、世界平和の祈りをするわけです。
それは神さまに任せた祈りですから、神さまのほうで、その人に適当な運命につくり変えてくれます。
いうなれば、自分の想念でつくる運命もあるし、守護霊、守護神が加勢して、その想念をつくり直してくれて、つくる運命もあるわけです。
フィルムは出来ているけれど、うまく修正して守護神さんが直して、つくり変えてくれることが随分あるわけです。
だから自分の望みがあったら、望みを神さまに任せて、「神さま、どうか私の天命が完う出来ますように、どうか人類のため、人のために役立つ人間になりますように」というように祈ることです。
それで毎日明るく、勇気リンリンと生きなけりゃあダメですよ。
今にきっとよくなるに違いないと、悪いことが出れば出るほど、ああ、これは過去世の因縁が消えてゆくんだナ、今によくなるに違いない、という想いで、神さまに感謝しながら、平和の祈りをしながら、毎日毎日生きていれば、これは必ずよくなります。
(後略)
五井昌久著『悠々とした生き方―青空のような心で生きる秘訣 聖ヶ丘講話』より