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足元の一歩一歩を踏みしめて歩けばよい

この世の日常生活は、一日一日の積み重ねによって築かれてゆくのであって、いくら焦ってみたところで、急に資産ができたり、地位が上ったりするものではない。

各自各人の環境というものは、過去世(かこせ)からの一秒一分という時の間の想念行為の蓄積の結果の現われなので、現在自己に現われているすべての環境や状態は、置かれるべくして置かれている環境であり、現われるべくして現わされている状態なのである。

善い状態や悪い状態が急に現われ出たように思われることがしばしばあるが、それも過去世から今日(こんにち)に至るまでに積み重ねられていた想念行為が、縁に触れて現われ出ただけで、突如としてできた状態ではないのだ。

この世の生活は荷車を引いて坂道を登ってゆくようなもので、坂の頂上ばかり気にしていると、心が乱れ足を踏みすべらせて、ずり落ちてしまう。

一度坂を見定めたら、もう坂の上を気にせず、一歩一歩足を踏みしめて歩いてゆけばよいのだ。一歩一歩の堅実な歩みが、その人の気息(きそく)を乱さず、知らぬ間に頂上に荷車を引き上げてしまうのである。

焦り心でことを運んだりせず、世界平和の祈りの中に自己の全想念を投入して、その祈り心を根底にして、日常生活の歩みを一歩一歩堅実に歩みつづけてゆけば、神のみ心はその人の全生活を平和な想念で送らせて下さるし、そうした生活状態が世界人類の平和のための大きな働きともなるのである。

五井昌久著『神への郷愁』より