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心豊かな人間になるために⑤(完)

(つづき)
いい行ないというのは何かというと、思いやりに尽きると思います。お互いが相手の立場を理解し合って、思いやる。

相手がしなくても、こちらがそうする。宗教信仰のあるほうがへりくだって、思いやり深く生きてゆく。

片方が50%の思いやりがあればいいけれども、全然思いやらないで0%とします。そしたらこっちが100%思いやれば、完全になります。

100%思いやり深い行ないをする、100%思いやりの深い人間になるとすれば、相手は全部よくなるに決まっています。

向こうは0でもいいんです。私は50%思うから、相手も50%、私が60%思うから相手は40%と、向こうに要求するとうまくいかない。相手に要求するよりも自分が与えに与えて、与えっぱなしにして、今生はそれでもいいと思えば、その人は霊界へ行っても素晴らしい人になるし、この世でも立派な人と、誰もが見てくれる人になるわけです。そういう生き方が宗教の生き方なのです。

内在する神を出すということは、調和ということであり、愛の行ないなのです。

愛の行ないが深くなければ、いかに神さま神さまといっても、その人はたいした人ではない。信仰の深い人というわけにはいかない。

愛がすべてのすべてです。愛というのは、愛欲のことではありません。相手のことを思いやって、相手のためになるように自分が生きるということが愛です。

愛は忍耐なり、と私はいつも言いますが、本当の愛を行なう時には、とても忍耐がいるのです。自分がいい気持ちになりたい、自分が気持ちいいから、これが愛だと思う。そんなのは愛情じゃなくて、愛欲です。自分勝手なことをやるのは、すぐ壊れてしまう。

本当の愛というのは、自分の心を楽しませるのが先ではなくて、相手を楽しませることによって、自分が楽しい。相手のために尽くすことによって、自分が喜びを感じているということです。(中略)

神への奉仕というのは愛です。それが横に広がってゆけば、隣人に尽くす、あの人はよくなったな、私の尽くしがいがあったな、と喜ぶ。そういうことが愛なのです。

(おわり)

五井昌久著『悠々とした生き方―青空のような心で生きる秘訣 聖ヶ丘講話』より