(つづき)
そうするとそこで消えてゆきます。それだけ光って来るわけです。それを、お互いにやればいいのです。
それで足りなかったら、私のところへもってくればいいのですよ。そうすればポンポンと拍手を打って、ニコニコと笑われてしまい、それで消えてしまいます。
「あれもこれも言おうと思って来たのが、先生の前に座ると、みんな忘れてしまう」、「何も言うことがなくなってしまう」とよく言います。
口で言わなくてもいいのですよ。ただ神さまの光を浴びに来ればいいのです。
お互いが相談相手になることも、ある時はすばらしく悟ったような気がして、「なんでも相談に来なさい」という心になるが、次の日はしょんぼりしてしまって、昨日の相談相手の人に相談している、ということがあるでしょう。
ある時はよくて、ある時はダメだというのでは、本当のハイスピリットではないのですが、この肉体の世界は業生の世界ですから、業想念がお互いに映って来るので、迷っても仕方がないのです。
波(※波動)なのですから……。今、台風が来ています。私の右腕がねじれるように痛い。しかし、痛いと思うだけで、拍手を打つときは平気です。このように私にも波がかかって来るのです。
誰にも人類の想いはかかって来るのです。それが自分の中の業とマッチして、引き出されて来て、不安になったり、怒りの想いが出てきたりするのです。
ところが自分がそうなるのではないのです。自分が怒っているわけでもなければ、自分が不安になっているわけでもなければ、自分が妬み心になっているわけではないのです。自分がヒステリーになるわけではない。
ヒステリーなどになるのは、人類のどこかにヒステリーという業の想いがあります。それがヒューっとかかって来て、自分の中の業が引き出されるのです。すると、あたかも自分がやっているような気がする。
ですから第一歩として、自分の感情想念と、輝いている本心とが、ハッキリ二つに分けられればいいのです。
「今さかんに業が出て来ている。でもこれは消えてゆく姿なんだな」というように思えればしめたもの。あとは時間の問題です。
”ああ、私の本心は輝いているのだ、業が今消えてゆくのだ、業は何時間で消えるか、何日で消えるかな”そんな気持ちでいれば楽です。
(中略)
消えてゆく姿の教えがないうちは、”私はこんなに信仰しながら、どうしてこんなに怒りっぽいのだろう、恨みっぽいのだろう”とか、こうやりますね。
(つづく)
五井昌久著『高級霊(ハイスピリット)は上機嫌』より