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永遠の生命の道に則って生きよう(前半)

(前略)政界をごらんなさい。与党と野党に分かれていますが、野党がダメだダメだとさかんに突ついています。

どうして人のあらばかり突いて、人の足を引っ張らなきゃいけないんでしょう。

そうしなきゃ偉くならないと思うんでしょうかね。自分の政権が取れないと思うんでしょうかね。

(そうした政治家たちの姿は)人間のみじめな低劣な姿を現わしています。

足ばかり引っ張らなくて、自分たちのいい政策をかかげて、これでどうかって出せばいい。

人間はもっと立派になって、お互いにほめ讃え合って、お互いに尊敬し合って生きるべき者なんです。

それが国会を見ていると、まるで足の引っ張り合いです。

長々と国会の討議をやっているのを見ていますと、時間の浪費だし、国民の税金の浪費だなあと思います。

ああいう姿をだんだん改めるためにも、我々一人一人が立派になって、本心の世界の、神の救う姿を我々自身が現わして、見せなければならないわけです。

その先達として、皆さんがあるわけです。世界平和の祈りの同志というのは、神さまの光の柱の中に入っているわけです。

神さまの光の柱に入って、永遠の生命の道にすっかり乗り切った人が、平和の祈りのあなた方なんですよ。

皆さんは他の人より立派で光り輝いています。

中には一般大衆の中に立派な人がいます。けれどお粗末という人も随分あります。

何がお粗末かというと、心が我欲に満ちている。自分のことばかり、自分の肉体生活のことばかり、損得勘定ばかりしか考えられない、そういう想いがお粗末というのです。(つづく)

五井昌久著『永遠のいのち―本当の自分に出合う 聖ケ丘講話 (聖ヶ丘講話)』より