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結婚と人生(後半)

(つづき)人間の中には、社会的な奉仕は嫌(いと)わないが、夫や妻に対しては奉仕の精神のサラサラない人がたまたまあるのである。こういう形の人は、結婚をしないほうがよいと私は思っているのである。もし結婚をしてしまっていたら、子供のできないうちに別れて、一人で自己の才能を自由に生かし、社会のために働く方がよいのである。

夫婦の生活というもの、家庭の生活というものは、お互いが奉仕し合い、短所を補い長所を伸ばし合ってゆくことによって築かれてゆくものであって、お互いの自我欲望を達成し合おうと思って結ばれているのでは、神のみ心にかなうものとはならない。

その点、現在の結婚生活をみていると、甚だ残念なことながら、間違った結婚、つまり業生と業生の結びついた、お互いの欲望を押しつけ合った結婚の多いのには慨嘆(がいたん)せざるを得ない。

もし守護の神霊への感謝をつづけながらも、結婚に恵まれなかったら、その人は、神が必ず何かの才能をその人(女性)に与えているのであるから、結婚にばかり想いを向けずに、その才能を自己のうちから見つけ出すことが必要なのである。

守護の神霊にとっては、その守っている人の本心開発が第一であり、本心開発の妨げになるような環境ならば、それが結婚という女性にとっての一番大事なことであっても、その人に結婚生活を与えないこともあるのである。それは結婚することによって、その人が心的に堕落してゆくような場合が、それに当てはまるのである。

だから、どんな環境になろうとも、常に守護の神霊がその人のために善かれと思って、そういう立場に置くのであることを信じて、一歩一歩明るく祈り心で歩んでゆくことこそ、その人にとって最高の運命を導き出す、唯一無二の生き方なのである。

五井昌久著『神への郷愁』より