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結婚と人生(前半)

先日ある結婚式に出席して、スピーチを頼まれ、咄嗟に話したことは、夫婦というものはダンスのパートナーのようなもので、片方が右足を出したら、片方が左足を下げる。また片方が左足を出したら片方は右足を下げるというように、夫が出てきた場合には、妻が引き下がる、妻が出てきた場合には、夫が受けて引き下がる、ということによって、夫婦の調和が保たれるので、片方が右足を出し片方が左足を出したら、お互いがぶつかり合って、ダンスにはならなくなってしまう。

夫婦というのは、お互いが相手の立場にたってものを考え、譲り合うことによって円満な家庭がつくられるのである。

この世の人間というものは完全円満な人格になりきった人などいないのだし、自分自身も完全ではないのだから、相手の感情を考えずに自分の感情だけを満足させようとすることは愚かなことなのだ。だから、お互いの欠点を責め裁かず生活する習慣をつけることが必要なのだし、赦し合うことが絶対に必要なのである。ーというような内容であった。

実際、結婚ということは、縁によって結ばれるもので、つい先頃までは、この世にそんな人が存在していたということさえ知らぬ男女が、恋愛にしろ、見合いにしろ、結ばれてゆくのであって、自分たちで決めたように思っていても、実は、不思議な縁の糸に結ばれたというより仕方がないものなのである。

その縁を守護の神霊の円にしてゆくか、業生の縁にしてゆくかが問題なので、その運は勿論自己の日ごろの心がけによるものではあるが、両親の神とのつながりの深浅にもよるのである。

過去世からの善因縁として、よい結婚運に恵まれている人であっても、日頃の心がけの悪さによっては、しだいに悪くなるか、或いは子供の結婚のときになって苦労する運命になってしまうものであるし、過去世からの因縁が悪い結婚運をもった人でも、守護の神霊に深くつながっていれば、はじめは悪い結婚と思っても、しだいによくなってゆくし、子供の結婚に恵まれてゆくこともある。

なんにしても、日頃からの心がけというものが大切であるが、その第一はやはり常に守護の神霊に感謝を捧げつづけて生活してゆくということが大事なのである。

それから第二に、夫なり妻なりは、守護の神霊の方から現われてくださったのだ、と思うことが必要である。

人々の日頃の心がけとしては、男性は明るく逞しく、そして愛深い人間であるように努めることであり、女性は明るく柔和で愛深い人になるよう祈ることが必要なのである。

人間の世界で一番大事なことは奉仕の精神なのであるが、夫婦の間でも、奉仕の精神は非常に大事なことで、奉仕の精神のない人は、妻となり、夫となる資格のない人なのである。(つづく)

五井昌久著『神への郷愁』より