人間に一番大事なものは何かと真正面にたずねられると、ちょっと即座に答えられない人が多いことでしょう。しかし、やがて答えられる答は、人それぞれにまちまちであろうと思います。
金が一番だという人もありましょう。正直な心が一番だ、勇気だ、いや才能だ、等々、各人各様の答え方をするでしょうが、ずばり「生命だ」と答える人は、意外と少ないのではないでしょうか。
それはあまり当然すぎて答の中に入れなかった、ということになるのでしょうが、やはり「一番大事なものは生命である」というところから、すべての答を出してゆかないと、種々と間違いが起こり、様々な問題が起こってくるのです。
生命の大事さということを根底にして、その生命を生かす上における大事なことを次々と考えたり、行なったりしてゆかないことには、真実の人類世界の幸福は生まれてこないのであります。”生命ほど大事なものはない”ということは、誰もが肯定することなのですが、それでいて、この生命を大事にしていない人が多いのです。(中略)
その第一は、なんのためにこの世に人間生命として自己が生まれでたか、という原理を知らないことから起こるのです。(中略)
小さい子供が何故こうなっているの、何故あるの、何故しちゃあいけないの、何故、何故、何故という疑問責めで両親を困らせることがよくありますが、本当にこの世には、何故?という疑問符が多過ぎるのです。
何故、何故、何故、この何故を追いかけてゆくところに、科学が生まれ、発明発見がなされ、人類の文明文化が開花していったのでありますし、宗教的聖賢も輩出されたわけなのであります。(つづく)
五井昌久著『神は沈黙していない』より