(つづき)
どのように悪く見える人でも、低劣そのもののような人でも、その本体は神界にあって、光り輝いているのでありますが、その分霊がこの現象世界の現身となるまでに、神界の本体の光の道から想念波動が外れてきてしまって、人間として必要な各種の要素が不調和になってしまったのです。
そして、その不調和な想念波動が憎悪とか、闘争とか、妬みとか、恐怖とかいう、この世に不幸をもたらす運命をつくりだしてきたのであります。
この世の人々は、生命(本心)というものと、想念というものとを、ごちゃごちゃにして考えておりまして、神のみ光そのものである生命を、想念波動で汚しきってしまっていまして、生命本来の働きを邪魔してしまっているのです。
そこで、昔からの聖賢は、空になれとか、無為にしてなせとか、全託とかいって、肉体頭脳を駆け巡る想念波動を、消滅させようとしているのであります。
生命というものは、宇宙神のみ心の中から生まれているものでありまして、神界、霊界、幽界、肉体界という各階層を、それぞれの光の波動で働きつづけているのでありますが、神界霊界という、いわゆる神霊世界では、生命波動がそのまま光明波動であって、生命の働きがそのままなんの障碍もなくなされるので、すべてが大調和しているのです。
(つづく)
五井昌久著『神は沈黙していない』より