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時は来たれり⑥

(つづき)

イエスっていうのはやっぱりね、立派なんだね。(中略)イエスさんというのは、本当の平和をつくりに来たんであって、ただ今日が平安であって、今日が何もなくてよかった、それでいいなんていうことを思って来たんじゃないんですね。

何事があってもいいんだ。病気があろうと、不幸があろうと、災害があろうと、そんなことは問題じゃない。魂、いのちが本当に生き生きと、いのちあるがままの神のみ姿に、神の子としてのいのちがそこに現われるのがね、それが最上なのですね。

うまいもの食べたからいい。いいもの見たからいい、いい着物を着たからいい、そんなことじゃないんだね。といったって職業的に着物を売る人もあるし、美容などをやる人もあるでしょう。それはそれでちゃんとやっていける。

しかしみんなが偉くなる時には、もうお金もなんにもいらないんですから。自然に神のほうから来るんです。宇宙人の世界というのは、何もお金を払って買ってゆくわけじゃないんですよ。欲しいものがそのまま来るんです。

自分の使命を達成していれば、欲しいものはみんな与えられるんですよね。ところが地球人は、お金を儲けたり、食べたりしなきゃならないでしょ。そこにギャップがあるんです。それだから、宇宙人なら宇宙人の姿、心がそのまま出たんでは、要するに神霊の心がそのまま出たんでは、地球人類が救われない。そこの仲立ちとして五井先生がやっぱりいる訳です。

だから宇宙人がそういうふうに厳しく言っても、イエスが厳しく言っても、五井先生という人はその中間に立って、厳しいことはしませんよ。やっぱり、今までどおりの五井先生という形をとるけれども、中身としては違うんだ。わかりますね。

だから皆さんは何でもいいから、消えてゆく姿で世界平和の祈り、消えてゆく姿で世界平和の祈りと、自分の中のあらゆる平安を乱す、人の平安を乱す、そういう想いは、みんな一切ないものにしなきゃ駄目ですよ。それで全部消えてゆく姿にしなきゃ駄目ですね。

<聴衆の中で一人が霊障で苦しみ出した。>

ハイ、止まれ!

ああいうように、止まっちゃったでしょ。すべてはそうなんです。人間というものは神の子なんだから、何ものにも犯されることはないのですよ。いいですか。

何か憑いたからフラフラする、何か来たからフラフラする、そんなバカなことがあるわけがない。神の子が憑きものするとは何事だ。神の子は厳然としていのちが輝いているんだから、幽界の低いものに憑かれてフラフラと自分のいのちを占領され、動かされるバカがどこにいるか。厳然たる神の子なんだからね。

神さまがやる場合は別ですよ。神さまがやればどんなことをしたって出来るけれども、想いに惑わされて、想いのままに動かされるなんて、そんなバカな貧弱な人間があるわけがないんですよ。それが在ると思っている想いが駄目なんです。

(つづく)

五井昌久著『魂が大きく開く時 (聖ヶ丘講話)』より