(つづき)
世界人類が平和になるという人類の目的と、神のみ心を合致させて、その中に、自他の業想念を投げ入れることによって、人間本来の神の子の姿が、神界の光明波動に照らし出されて、はっきり現われてくることになるのです。
業想念波動を神の大光明の中に入れきってしまえば、おのずから、生命本来のひびきがそのまま障碍なく、地球人類の上に伝わってくるのでありまして、ここに個人の生命も生き生きと働き、人類全体の生命も自他の運命を損なうことなく、生き生きと働きつづけることが出来るようになるのです。
浄土門のように、阿弥陀仏への全託でも結構なのですが、私のは、人類全体の希求する世界平和という大目的を祈り言として、その祈り言の中に宇宙神の大光明を導き出してきたところに、大きな意義があるのであります。
世界平和というのは、全人類の悲願であって、いかなる宗教者といえども、どのような唯物論者であろうとも、反対の声の出るようなものではありません。
それがそのまま祈り言になっているのですから、誰でもどのような立場にあっても、世界人類が平和でありますように、とは唱えられるのです。
その唱え言の中に、自他についての把われの想いを、すべて入れきってしまう習慣をつけてゆけば、巧まずして想念の転換が行なわれてゆき、いつの間にか、業想念波動が光明波動に変わっていってしまうのであります。
私などは多くの神々の光を身をもって知っております。一神にして他神という、神界の相をよく知っております。
世界人類が平和でありますようにと祈るとき、そこに輝く大光明は、それは素晴らしく荘厳なものであります。
この事実は私たちの会の人ばかりではなく、正しい霊能者は知っているのです。
この世界平和の祈りの中から、個人の生命はさわりなく輝き、人類の業想念波動は次第に浄められてゆくのであります。
(おわり)
五井昌久著『神は沈黙していない』より