(前略)
今、ここ大地の上に私という一人の人間が立っている。
この一人の人間は、五月の青葉のさやぎに目を細め、大空からひびいてくる陽光(ひかり)の律動(リズム)に自己の想いを溶けこませて、生きていることの喜びを満喫している。
陽光は有難い。
青空は有難い。
この大地も草木も、花々も、すべてがなんと有難いことだろう。
私はそう想って、神との一体感をしみじみと味わっている。
しかしこうした快い自然のリズムの中にいても、なんの喜びも湧きあがらず、自己を不幸だと思い、死にたい、生まれて来なければよかった等と思いつづけていて、どうにも自分ではこの想念から逃れることの出来ない人もあるし、何かと不平不満の理屈をつけて、自己や周囲を不快にし、不幸にしている人たちもなかなか多い。
そうした人たちは、現在の生活環境が自己の希望に染まないので、つい、いらいらし、あくせくし、そうした想いが習慣になり、何もかも面白くなく、嬉しくなくなってくるのである。
(つづく)
五井昌久著『心はいつも青空』より