(前略)
皆さんの中には、神様の姿を見たり、声を聞いたりして、教え導いてもらいたい人が、かなりいると思います。
ところが、真実そうなるためには、その人の心境がよほど秀れてきていないと、非常に危険な状態に陥ることがあるもので、かえって自己の運命を損ない、他人の運命をも傷つけてしまうことが多々あるのであります。
人間には誰でも、潜在意識というものがあるのでありまして、その潜在意識が神霊の心のような状態で、声で、いろいろなことをその人に教えたり、命令したりすることが多いのです。
それが真実の神霊の声と入り混じって聞こえてくるので、その判断をすることが実にむずかしいのです。
神霊の声はめったに聞こえず、ほとんどが自己の潜在意識であったりする場合がずいぶんあるのです。
潜在意識というのは、表面の意識で気付いても気付かなくとも、やはり自己の意識なので、神の声のように真実を伝えるものではありません。
一人の人を判断するのでも、潜在意識がその人に悪意をもっていれば、その人が事実、立派なよい人であっても、そのお告げは、あの人は悪い人である、というように出てまいります。
また実際にやらなくてはならぬことでも、潜在意識でやりたくない場合には、やらなくともいいという、命令になってしまいます。
それが自分だけの生き方であるのなら、損をしても自分だけのことですが、これを個人指導に用いた場合には、他人の運命を狂わせることになってしまいます。
ですから、やたらに神の声を聞きたがることは、無謀なのであります。
神の声を聞くには、聞けるだけの心の立派さというものが必要なのです。
(後略)
五井昌久著『自らを信ぜよ』より