(つづき)
ものすごいんです。「我欲は一切ならん。我の想いなんか自分が損するだけだ。甘やかしてくれることはいいことじゃない。今まではいい。今まではこうやって集まって、五井先生に親しんで、みんな心がなごんでつながったからそれはいい。
しかし、これからはそれでは亡びてしまうのだ。みんなが本当に世界をすくう立場に立たなければならない。少なくとも世界平和の祈りの同志というものは、甘えに来るんじゃないんだ。世界人類を救うために来たんだ。みんな前世からいえば菩薩級なんです。
世界平和の祈りでこのように集まっている人は全部、自分で知らないけれども、おばあさんであろうと、おじいさんであろうと、昔から人を救うため、人類を救いたいという念願で生まれ変わり死に変わりしてきた人たちなんです。
それをこの世の業のためにわからないで、甘える立場になっているけれども、実は甘える立場ではなくて、人を救う立場なんだよ。世界人類三十億を救うということは、宇宙が平和になることなんです。
三十億を救うための自分たちなんだということを、心にしみて想いなさい。甘えなんか一切いらんよ。そんなもの何になる。一時のものではないか。そんなものは吹っ飛ばせ」とイエスが宇宙人と二人で、声を合わせて言うのです。
五井先生もしょうがない。「しかし今度はそうはいかないんだ。今度は厳しく本当に自分を見つめて、自分の中に甘えがあったら、甘えを世界平和の祈りで消す。怒りがあったら怒りを世界平和の祈りの中で消す。不安があったら不安を世界平和の祈りの中で消す。自惚れがあったら自惚れを世界平和の祈りの中で消す。自分の中のあらゆる業想念を自分でもって、世界平和の祈りの中へ入れなさい。自分で入れなければ駄目だぞ。今までさんざん五井先生から教わってきたのだから、もう言葉として教わる必要はない。だから自分たちで、世界平和の祈りの中へすべて入れなさい。
自惚れも駄目、不安も駄目、嫉妬も駄目、甘えも駄目、そんなものは一切消えてゆく姿。これから世界が変わるのですよ。まるで思いもよらぬほど変わるのです。思いもかけないほど変わるのです。今までのような世界に、人間がいくら生きたって何にもならん。今までの地球人類が何になるか。虫けらのようなものが生きていて何になるか。そんなものはいらない。死ぬなら死ね」こう言うんですよ。厳しいんです。
「今までのような甘ったれた貧弱な地球人類なんかあったってなくたっていいんだ、もう一遍全部やり直したほうがいいんだ」と言うんです。「しかしそれではせっかくの神さまの愛もなくなるし、みんながせっかくやってきたのに何もならないから、あなた方、世界平和の祈りに集まっている人たちがまず先頭に立って、自分たちから甘えとか自分の想いというものを全部捨てて、世界人類を救う立場に早くなりなさい」……こう言うんです。イエスが言うんですよ。
(つづく)
五井昌久著『魂が大きく開く時 (聖ヶ丘講話)』より