(つづき)
みんな肉体をもっている、肉体の波に惑わされてわからないけれども、もう永遠に光り輝いているものなのですよ。それがだんだんとわかってきているわけです。頭でもわかってくることは大きいことですよ。それはやがて、実際にわかることだからね。
一切の甘えを捨てよ、自惚れを捨てよ、不安を捨てよ、怠惰を捨てよ、というんですね。何に捨てるかというと、世界平和の祈りの中に捨てればいい。
必ずよくなります。離れていても、みんなで見ています。ということは、救世の大光明の中には、守護の神霊が、もう素晴らしい人たちがたくさん居るんです。
中心になっているのは、五井先生です。こういう肉体をもっているけれども、もうすでに、おとといから私はまるっきり変わりました。やっぱり少し肉体の観念がありました。”ああ、かわいそうだなぁ”と、こう思うんだけれども、そういう想いではいけないんです。愛する想いでなければいけない。
愛する想いは、かわいそうというんじゃないんだ、愛するということは、向こうを本当に生かさなければ、愛したことにならない。かわいそう、かわいそうって、自分が悲しんで、向こうが悲しんで、それで何になるか。かわいそうではないんだ、みんな健気なんだ、どうかこの人の天命が完うしますように、というのであって、そのかわいそうかわいそうという想いの中に自分が入って、自分も泣き、向こうも泣いてたんじゃ、これは今までの地球人類を一歩も出ない。
宇宙人の世界というものはものすごいんです。それであなた方は何をやるかというと、心の平安だけを願いなさい。祈りの心の平安、いかなるものにも心が動かされない不動心ですね。
宇宙人は科学的な面で素晴らしいのであって、その科学で応援してくれるから、それは心配しなさんな、ただ、心の平安がないと、宇宙人が働けないから、空になる練習をしなければ駄目だ。空になる練習は、もう初めっから五井先生が教えているわけですね。
消えてゆく姿で世界平和の祈り、消えてゆく姿で世界平和の祈り、なんでも消えてゆく姿で平和の祈り、その一点張り。他のことは一切いらんですよ。あらゆる想いは消えてゆく姿なんだ、平和の祈りだけがそこにあるんだ。
我はただ空即是色天地に世界平和の祈り声充つという歌があるでしょ。あれと同じでもって、「光だけがそこにあればいい。そういう自分たちにならなければならない」と、宇宙人とイエスが合体して言うんです。
とにかくみなさんが考えている世界とまるっきり違う世界が出来るんです。地球世界が今とはまるで問題にならないくらい違うようになるんですよ。
だから私が前から言ってるでしょ。超、超、超現実的なことが、この地球界に行なわれるんだ。そのことが現われるためには、やっぱりどうしても宇宙人が出なければ駄目なんですね。
今まで出たとか何とか言っていますが、全部ウソですよ。宇宙人が、「姿を現わしたことはない」と言うのです。「霊的にはみんな交流したけれども、宇宙人が肉体の姿を現わしたことは一つもないよ、霊的な人が霊的に姿を見て、肉体と思い込んだのです。だからいろんな本が出ているけれども、それは全部そうした考え違いなのだ」とハッキリ宇宙人の司令が言ってました。
それで、「五井先生と緊密なる提携をして、世界人類の平和達成のために努力をする、必ず成る!世界は必ず平和になる!」と言うんですよ。
(つづく)
五井昌久著『魂が大きく開く時 (聖ヶ丘講話)』より