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般若心経について④

(つづき)

この世界には永遠の生命が、神界から霊界を通して、この肉体界に現われているんです。

ところが肉体界に現われるまでに、私がいつも言うように、霊界もあれば幽界もある。幽界というのは、光明波動と暗黒波動が両方混合している所なのです。

それが肉体に現われてくるわけ。だから肉体界というのは玉石混交していて、生命の実体もあれば、仮の姿の肉体人間が幽体の想いで作った想念波動の世界もあって、混ざってる。

ですから玉石混交の汚れた石のほう、肉体人間が作ったほうのすべてをなくせばいいわけです。しかし、なくせといっても難しい。

それだけでは困るから、選り分けることです。そこで私たちは、玉石混交をそのまま消えてゆく姿として、世界平和の祈りで神さまのみ心の中に入れてしまうわけです。

神さまのみ心の中で自然に分けてもらって、汚いものは消してもらって、いい光だけ出てくるようにするわけです。

本当の教えというものは、無い無いづくしではなくて、神さまは光り輝く大光明であって、大光明波動の分生命が人間である、というのです。

しかし肉体の人間というものは、(※自分たちが)神の分生命であることを忘れてしまって、幽体あるいは肉体で作った想いの中で生きているのです。

想いの中で生きている。その想いは”無い”というわけです。

しかし無いといったって、実際問題として肉体が現われてあるんだから、想いが無いといったって、想いはやっぱり現われている。

だから、無いのではなくて現われている。現われているだけであって、実体ではないわけです。

だから、現われているものは”消えてゆく姿”なのです。

(つづく)

五井昌久著『空即是色-般若心経の世界』より