(前略)
業想念も誤った行為も、すべてもうそこに現わされてしまったので、善いも悪いもないのです。
それはあたかも食事の後の糞のようなもので、出てしまったものが汚いも嫌もありません。
それは消えてゆかしめるより仕方がありません。
だからそれは消えてゆくのです。
消えてゆく姿といっても、その想念、その行為を、心から”誤っていた”と認めなければ、その業想念は再び廻りまわって自己の心に戻ってきます。
ですから、心の底から、”悪かった、これではならない”と深く自らを反省して、世界平和の祈りの中で、救世の大光明の神々に消していただくように願わなければいけないのです。
それが自分を愛し、自分を赦すことなのであります。
(後略)
五井昌久著『真の幸福』より