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祈る想いは本心か、業生の想いか②

(つづき)本心がそのまま立派に働けるのだから、祈るのは業生が祈るのではなく、本心が祈るのです。

守護霊さん守護神さんに感謝するのも本心がするのです。

だけれども、実際問題としては、やがては業生である想念も、本心も一つになって祈ってしまうわけです。

だからよく言うでしょ。「雑念がいくら起こったって祈ればいいんだ、もう気がなくたって、『世界人類が平和でありますように』と祈っていればいいんだ」と言うでしょ。

気がない方が業生。力が入らない、いい加減にやっているのが業生のほうです。

だけど実は、業生がやろうとやるまいと、本心のほうはいのちが宣り出している。

いのちが働いているということは、祈っていることなのだから、本心は常に祈りつづけている。

そこへ業生の自分が、「ああ、祈りなんてしょうがないけど、よくわからないけど、五井先生が言うのだからやってみよう」ってやっているわけです。(つづく)

五井昌久著『内なる自分を開く―本心開発メソッド』より