(つづき)本心がそのまま立派に働けるのだから、祈るのは業生が祈るのではなく、本心が祈るのです。
守護霊さん守護神さんに感謝するのも本心がするのです。
だけれども、実際問題としては、やがては業生である想念も、本心も一つになって祈ってしまうわけです。
だからよく言うでしょ。「雑念がいくら起こったって祈ればいいんだ、もう気がなくたって、『世界人類が平和でありますように』と祈っていればいいんだ」と言うでしょ。
気がない方が業生。力が入らない、いい加減にやっているのが業生のほうです。
だけど実は、業生がやろうとやるまいと、本心のほうはいのちが宣り出している。
いのちが働いているということは、祈っていることなのだから、本心は常に祈りつづけている。
そこへ業生の自分が、「ああ、祈りなんてしょうがないけど、よくわからないけど、五井先生が言うのだからやってみよう」ってやっているわけです。(つづく)
五井昌久著『内なる自分を開く―本心開発メソッド』より