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祈る想いは本心か、業生の想いか③(完)

(つづき)そうするとやっているうちに、だんだん本心の光が外に出てきて、業生の自分が消えてゆくわけです。

すると、だんだん真剣な祈りになってくる。

知らない間に、“いつの間にか祈っている”という形になってくるんです。

“いつの間にか祈っている”というのはどういうことかというと、自分の霊身を離れた業生がなくなってきて、知らない間に想いが本心と同化しているから、ひとりでに祈りが出てくる。

だから、いつでも祈るというのは本心なのです。

本心を開くために、私なら私のような人が出てきて、「祈りはこういうふうに、世界平和の祈りをしなさい。そうすると消えてゆく姿が一日も早く消えてゆくんですよ」と教えますね。

そうすると、本当かウソかわからないと思いながら、いい加減な気持ちで祈る。

それは、業生なんです。業生が消えてゆく姿として祈っているのです。

しかし世界平和の祈りをつづけていると、いつの間にか知らない間に、業生が本心と一つになって業生はなくなり、この世の肉体の想いの波も本心の波と同じになって、光り輝いてしまうわけです。(後略)

五井昌久著『内なる自分を開く―本心開発メソッド』より