はじめ神さまだけがあって、最後に神さまだけがある。あとのものは消えてゆく姿で、みんな消えてゆく姿。
だから皆さんはしまいに、神さまの中に入ってしまう。それでいて個性があるんです。いつまでいっても天命がある。大神さまと一つになっていてね。
それで個性というのは天命があるんです。いつまでいっても天命がある。死んだら生命(いのち)がない、なんていうのは昔の迷信なんです。
死んでも生命はある。その生命が一番よく生きるためにはどうしたらよいかといったら、世界平和の祈りをするか、消えてゆく姿をやるか、神さまに本当に自分を投げ出しちゃうか、どっちでも同じことです。
そうすると、その生命がいっぺんに神界へ行っちゃいます。神さまと本当に一つになる。消えてゆく姿を本当にやれた人は、亡くなると、肉体から離れたとしますと、どこへ行くかというと、全部ないんだから、肉体世界も消えてゆく姿、幽界も消えてゆく姿、霊界も消えてゆく姿とやっているでしょう。
そうしたら行くところは神界しかないでしょ。そういうものなんですよ。想いを全部なくした時には、それは神さまなんです。それを空というんです。
五井昌久著『天命を信じて人事を尽くせ (聖ケ丘講話)』より