(つづき)
(中略)お山(聖ヶ丘)の統一が実って、宇宙人が肉体の人間と同じように現われてきて、手を握る。あるいは円盤が到着するということになるのです。これはなるのです。なるのですとこう言っているのは、向こうの人が言っているのです。なるんだ、と言うんだからしょうがない。肉体の私のほうが、「なるんだと思います」なんて言おうとすると、「思います」を消されて、「なるんです」と断言するのです。やります、出来ます、現われますと言うのです。私のほうでは消しても消しても出てくるのです。
私は修行の始まりから、予言などは全部否定しているのです。お前はこういうことをするんだとさんざん予言されたことがあるのです。そういうものを全部否定してきたんです。否定して否定して来て、私は予言者のような形をとらなかった。ところが否定しても否定しても、実際に現われてくるのです。今まで否定したことが全部現われてきたのです。(中略)
私などは常識を外れないほうなんです。非常に神経が細かくて、常識的な素質を持っているのです。だから、奇異なこと、突飛なことをあまり好まないのですよ。奇異なること突飛なることを否定しよう否定しよう、としているのです。否定しようとする私の想念を打ち破ってそうなんだと約束してしまうのです。
もう約束してしまうと、約束が果せない時は私が赤い顔をしなければならないでしょ。だから嫌だから、なるたけ約束しまいと思うのですよ。しまい、と思うのはこっちの勝手で、向こうさんのほうは約束するのです。
もし出来なかったら、いい災難なのはこの肉体のほうですよ。「ざまあみろ」なんて言われるかもしれないけれど、そんなことを怖がっている時代ではない。向こうから言うのだから、そのまま素通しで通しているのです。だから間違いないのです。
これを信じる信じないは、どちらでもいいです。必ず現われますからね。現われることを促進させるのは何かというと、皆さん方の世界平和の祈りなのです。世界平和の祈りをする努力だけをはらっていれば、自分が救われると同時に、日本を救い、世界を戦争の残虐、あるいは天変地変の残虐から救うことが出来るのです。
(つづく)
五井昌久著『天命を信じて人事を尽くせ (聖ケ丘講話)』より