どんな嫌なことでも、どんな失敗をしても、それが消えてゆく姿だと思うと、嫌なことがあまり嫌でなくなり、失敗もあまり苦にならなくなり、新しい勇気が湧いてきて、再び失敗は繰り返さぬ決意となってくるのです。
愛そう愛そうと思っても愛せない人は、いくらでもいます。しかし、愛そうと思う想いさえも消えてゆく姿として、相手の嫌なところも消えてゆく姿として、世界平和一念の中から再び相手を見直した時、相手は意外と嫌な人でなくなっていることが多いのです。
人間の想念というものは面白いもので、そうしようそうしようと思っていると、かえってしたくなくなり、してはいけない、してはいけない、と思うと、かえってしたくなってしまうという、変なくせをもっています。
そんな時、しようもしまいもすべて、消えてゆく姿に一度してみると、心が自由になって、正しいものの見方、的を射た生き方ができてくるものであります。
五井昌久著『宗教と平和』より