本来、人間は直霊として神界(天界)にあるのです。
想いが「自分はここにいる」と思っているのであって、あるときは霊界に、あるときは幽界にと、あっちへ行ったり、こっちへ行ったりしている。それを自分だと思っているわけです。
しかし、私はここにいるというのは、想念がここにいるのであって、本体は神界にあるのです。想念というものだけが、ぐるぐると幽界や肉体界を廻っているのです。
ですから、その想念を天界につねに上げておくことがいいわけです。守護霊さん守護神さんありがとうございます、と想った時、想いは守護霊、守護神の位置に行くと同時に、(そこに)在るのです。
想念に距離はないのですから、神の国を想えば、想いは神の国にいるのであり、あなたは神の国にいるのです。
つねに光を想い、出てきた業はひたすら消えてゆく姿と想い、守護霊、守護神、神さまに感謝をしていれば、自然に、そして早く、本体に合体出来るわけです。
苦しい時にも、貧しい時にも、守護霊さんが必ずよくして下さるのだ、と想っていれば、この想いは天よりの想念、光ですから、米びつに明日食べる米もなく、買うお金がなくとも、平安な天国にあるわけなのです。ですから心も明るく、一つも不安がないのです。
現在のいかなる悪い状態も、それは過去の業の消えてゆく姿である、と断固として想い、そして明るい、豊かな安心した想いを出していることです。
本当の自分は天にいるのだ、守護霊、守護神さまが守っていてくれるのだから大丈夫、という想いで、守護霊、守護神にすべてをまかせて、その場その場をのん気に、明るく、生命を充実させて生きることです。
世界人類が平和でありますように
日本が平和でありますように
どうか私たちの天命が完うされますように
という大乗的な祈りを、守護霊、守護神を通してしていると、生命が本当に生きてきます。これが一番明るい、大らかな天の想いです。
五井昌久著『生命光り輝け-五井昌久講話集1』より