肉体の人間では何事もなし得ない。守護霊守護神がいて、常に肩代わりしてくれたり、力になってくれて立派になってゆくわけですからね。
私がいろいろなことを教えたり、わかったり、浄めたりするのは、守護神がやってくれているんであって、肉体の方でやるのではありません。
肉体人間には何事もできない。肉体は命がなくなったら灰になっちゃうでしょ。
ただ道具として、場所として、こういう顔をして現われているけれども、この顔の人が、この口がしゃべるんじゃないんです。口は機械的に動くだけであって、中の守護神のひびきが動かして、しゃべっているわけです。
それがどこまで深い深いところから、高い高いところからくる言葉か、あるいは横っちょの浅いところからくる言葉かで、その人の人格というものが違ってくるんで、肉体というのは器です。
どんな偉い人でも、イエスでもお釈迦さんでも、みんな肉体は器なんです。
人間の本体は何かというと、神であり霊なんであって、その器を使って神界から動かしているんです。
神界からスーッと動かしている人は立派なんだけれども、神界から動かそうとしているのに、途中に業想念があって、または途中から他の生物がヒュッヒュッときて動かそうとしたり、迷った人に動かされたり、そういう波を受けている。
完全にNHKならNHKが聞こえてくればいいけれども、どこからでも他の波長の波が入ってきて、波動が乱れてしまってウジャウジャいっている。そういう状態が今の人間なんです。
それだから、いっぺん消えてゆく姿をやって、神さまの中に入ってしまって、あらためて神さまの高い深い力を、智慧を内から出してもらう、こういうのが私の教えなんですね。
それを私が一番初めに実行してみたら、やらない前の人間より、ズーッと立派になりましたから、それでいいというわけです。(後略)
五井昌久著『内なる自分を開く―本心開発メソッド』より