(つづき)
そこでよい人ほど、
自分の誤った行為に
把われてしまいがちに
なってくるのです。
誤ちを悔ゆるはよけれ
悔いのみに
生くるいのちは
おろかしきもの
という私の歌がありますが、
いつまでも悔いを残すような
反省の仕方では、
人間が暗くなっていけません。
悔いを一瞬にして
消滅させてしまう反省の仕方が、
消えてゆく姿と
世界平和の祈りによる行じ方では、
容易にでき得るのです。
「ああ、しまった、
あんなことをするのではなかった」
と思った瞬間、
「ああ、それは、
みんな自分の過去世の業因縁と、
相手の過去世の業因縁が、
そこにお互いの行為に
現われて消えてゆく姿だったのだ、
よし、この消えてゆく姿を
世界平和の祈りの大光明に
投げ入れて、
再び現われないように
消滅させて頂こう」
というように、
反省と同時に消えてゆく姿、
またその瞬間に
世界平和の祈りの唱え言をして、
すべてを救世の大光明の中に
全託してしまうのであります。
そういたしますと、
全託と反省がまったく一つになって、
神我一体となった覚者と同じような、
自然法爾、
つまり神のみ心のままなる生活が、
その人の全生活として
現われてくるのであります。
(おわり)
五井昌久著『宗教問答 (続)』より