スポンサーリンク

平和運動の在り方について③(完)

(つづき)私たちの運動の、祈りによる世界平和運動は、徹底した光明思想であり、神のみ心の大調和だけが真実の在り方であって、他人や他国の不為になること、世界の波を不調和にすることを、そのまま放っておく行き方ではありません。

しかし、うっかりすると、他の光明思想のように、神の子の世界には、敵もなければ悪もない、不調和もなければ誤ちもない、というように、何者何事をも拝み通す、という在り方と間違われる恐れがあります。

この世は神のみ心によって創られているのでありますが、肉体人間として、人間が物質生活を始めてから、神のみ心の微妙な生き方から、次第に粗い波動の世界の在り方に慣らされてしまいまして、悪や不調和の世界を生み出してしまったのであります。

ですから、この肉体世界には、一応は悪も不幸も、敵も味方もあるわけで、ただ単に、この世界は神の世界だからそういうものはない、と言葉だけで言っていても、この世は成り立ってゆかないのです。

私たちの生き方は、この世の有様をそのまま常識に認めて、しかし、それは人間本来の姿ではなく、神のみ心を離れた誤った想念行為が、髪のみ光によって表面に現わされて、消えてゆく姿なのであるとして、神の大光明波動の中で、消していただくことを第一にしているのであります。

そして、人間の想念が、神のみ心の中に入りきってしまうと、その謝っていた人間の状態が、自然と消え去っていって、神の子本来の人類の姿が、そこに現われてくるのである、と神から教えられ、それを”世界平和の祈り”という祈り言の下に実行しているのであります。(後略)

五井昌久著『世界人類が平和でありますように』より