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平和運動の在り方について②

(つづき)今日では、真の祈り心になって、神霊の力を十二分に出していただいて、肉体人間の応援をしていただかなければ、地球は滅びてしまう時代ですから、どうしても真の祈りが必要なのです。

そのことを知らない人は、祈りをただ単なる願い事と思い違いしていまして、祈ったってなんになる、祈りなぞに頼るな、などと、祈りを馬鹿にするのですが、今日の世界情勢を見て、肉体人間の力だけで、一体何が出来るかということを、よくよく見定めてから、ものを考えてもらいたいのです。

平和運動平和運動と叫んでいながらも、肉体人間だけの平和運動などは、平和運動をしている人たちが、二派にも三派にも分かれて、自説を強調し、争わんばかりの有様です。

平和ということは、平らかな調和した生活、ということで、その心に争い心があっては、平和運動になりません。

相対的な気持ちで、自分たちの気持ちを押し付けてゆくのでは、お互いが調和するわけがありません。

しかし、ソ連のアフガニスタンへの侵攻などのように、明らかに他国を侵していたり、イランの人質作戦のような、常識的な心から見て、不調和そのものであり、自国本位のあり方を見ては、誰しもその在り方が誤りであり、世界平和を乱すものであると難じることは当然なことです。

こういう行為を非難することは、相対的というより、もっと根本的な、神のみ心に反することを、神の子の心がいけないことだ、誤りである、と指摘していることで、単なる相対的な非難ではありません。(つづく)

五井昌久著『世界人類が平和でありますように』より