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心豊かな人間になるために②

(つづき)
祈り言をしていると、自然に行いがその祈り言にかなってくる。なぜなら、思う通りになる世界ですからね。

「愛深い私にならしめ給え」と祈っていると、なんだか知らないけれども、愛が深い人間になって、ちょっとしたこともすぐ許せる。「ああ、いいですよ、いいですよ、お互いに兄弟姉妹です」となるのです。自然にね。

そういうふうに自分に言い聞かせる。神さまにお願いするということは、自分に言い聞かせることにもなりますから、そうやっていますと、自然と愛深い人間になります。

そういうわけで、いつでも自分に言い聞かせることが必要だと思います。「私はダメな人間だ、私はダメな人間だ」と言っていたら、ダメな人間になります。言い聞かしているんだから。私は気が弱いって言っていたら、言い聞かしているんだから、気が弱くなりますよ。こういうことではいけません。(中略)

「短気だ、短気だ」と思っていたら、短気になります。「意気地がない、意気地がない」と思いつづけていたら、意気地がなくなります。脱皮することが出来ません。

意気地のない人間、短気な人間、愛の薄い人間、臆病な人間、嫉妬心の多い人間というものは、”過去世からの業想念の消えてゆく姿”と私はいうわけです。消えてゆく姿にして、愛深い私にならしめ給え、とこう言うわけ。

愛深い私にならしめ給えというのをもっと広げると、「世界人類が平和でありますように」という祈り言になってくるのです。ですから、世界平和を祈るということは、愛深い私にならしめ給えという言葉のもっと広がった、立体化したような祈りです。
(つづく)

五井昌久著『悠々とした生き方―青空のような心で生きる秘訣 聖ヶ丘講話』より