(前略)
天照大神が天の岩戸に隠れ給うたというのは、宇宙的な意味でもあると同時に、人間個人個人の光明心の隠蔽でもあるのです。
個人個人の霊性が肉体の中に隠れて、肉体人間として各人が地球世界開発の役目をしていることが、それであるからです。
さて、これからが二度目の天の岩戸開きということになるのです。
それは、いよいよ人間の霊性が開発されて、物質的肉体を自由自在に、自己の心のままに動かし得ることの出来る時代が来るということなのであります。
人間各自のうちにある天照大神が光を放つことになるのです。
仏教的にいえば、大日如来が光を放つといってもよいのです。
(後略)
五井昌久著『白光誌1961年1月号より』より