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私の宗教家としての目的

(前略)私の宗教家としての目的は、人間の本心(※神性、神我)の開発、人類の本性の顕現、つまり神仏のみ心をこの地球界に、そのまま現わし得るようになるための真人を、一人でも多く作り上げることにあるのです。(後略)五井昌久著『白光誌1960年4月...
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大生命

一体何んと云う深さなのであろう何と云う尊さなのであろう私の吹き鳴らす霊笛に乗つてその霊身を現わされた御方は一体誰方なのであろう私の身心に伝わるこのひびきそは正に大生命の高鳴り今老祖の姿となつて私の中に御座す大光明その輝く銀髪は星々の塵埃を祓...
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真の祈り言葉とは

(前略)私の申している真の祈り言葉というのは、神との一体化を計る方法で、神本来の完全性を、個人の上に、人類の上に、現わすための行なのであります。個人の念力でそうするのではなく、祈り言葉によって、人間本来の能力や、完全性、調和性が、おのずと現...
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本体は神界にある

(前略)一番大事なことは何かというと、何べんも何べんも言いますけれど、人間というものは肉体ではない、肉体は単なる器である、肉体の他に、幽体もあれば、霊体もあれば、神体もあるんだ。それで人間は神界というところにもいれば、霊界にもいれば、幽界に...
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星の体と宇宙人

(前略)地球も、皆さんに見えている物質体の他に、霊体神体というものが厳然としてある。それと同じように、他の星にも霊体というものがある。その中に宇宙人という存在が住んでいるわけです。(後略)五井昌久著『白光誌1969年2月号』より
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平凡な生活の中にこそ

(前略)平凡と見える生活の中で、心は常に神とつながっている、自然のうちに愛と真の行為をしている、日々感謝に充ちている、そうした人こそ、真の宗教者といえる。(後略)五井昌久著『白光誌1970年6月号』より
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悟りとは ~ 神性を現わし生きるポイント

(前略)悟りとは、本心と自分とが、まったく一つになるということなのであります。迷ったり、怒ったり、妬んだり、哀しんだり、恐れたり、執着したりする想念というものを、はっきり、自分ではない、と思い定めることなのです。自分とは、神と一つである本心...
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キリストの十字架の意味

(前略)十字架というのは何かというと、自分という肉体の観念を抹殺するということ、肉体という観念、罪という観念を抹殺して、本当の神さまが現われる、おまえの本当の姿が現われるんだ、というために、イエスが十字架にかかっているんです。(後略)五井昌...
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あなたも私もキリストであり仏陀である

(前略)私は修行している仕上げの頃、ある時祈っていると、スーッと全然体がないんです。祈っている時は光り輝いている。そうすると、向こうからはじめ、お釈迦さまが蓮華台に乗ってハッキリ現われ、それで宝珠(ほうじゅ)を二つくれたり、お榊(さかき)を...
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菩薩の祈り

(前略)世界平和の祈りというのは、キリストの心、仏陀の心、観世音菩薩の心です。世界が平和になるということは一番いいことでしょう。宇宙平和でもいいけども、地球に住んでいる人は、世界平和のほうがわかりやすいからそういうんですが、世界平和というこ...
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