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神さまの愛

世界平和の祈りによって、自分の自我欲望をいっぺん神さまの中へ捧げてしまうと、神さまのほうから愛の光、慈愛の光が流れて来て、それが肉体的に人間的に働くと、神愛、情愛というか、執着でない本当の愛になってくるんです。 私なんかもそうなんですよ。み...
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真に自分を変えるには

人間の過去世からの習慣の想いや行いはなかなか頑固なものでありまして、自分はなんて臆病なものなのだろうな、と思って、一生懸命勇気を出だそうとして、いろいろな本を読んだりしますが、いつまで経っても、その臆病や気の弱さが直らなかったり、短気な性分...
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現象の真の姿を見定めて生きる

自分自身の現象の真の姿を見定めるということは、一番大事なことなのです。 自分を甘やかして勝手に善い点をつけたり、悪い点をつけたりしないで、あるがままの姿を肯定して、「自分はこれだけの人間なのだ」と自覚して、その自覚の上で職業にぶつかってゆき...
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食欲や性欲を業想念行為にしない方法

食欲とか性欲とかいう本能は、肉体人間にとって不可欠な本能ではありますが、この本能が神のみ心として許されるためには、やはり、神のみ心の現われとしてのあり方でなければなりません。これは根本的な人間観、人生観のいかんによって定まってしまいます。 ...
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神人一如~神と人間の綿密な提携

言が神そのものであり、光そのものであり、すべてを創り出したひびきそのものでありますから、この言の中に入り込んでしまえばすべての力が人間にも備わるわけなので、そうすればよいわけです。 古来からの聖者はみな、その道を目指して精進して、やがてその...
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青葉若葉の候

青葉若葉の輝くこの頃になると、私はいつも芭蕉を思い出す。゛あらたふと゛のあの句が今更のように胸にしみてくるからである。「まいった、まいった」、とその句の素晴しさに参りきっている私なのである。芭蕉のことは以前にも書いているので(『神への郷愁』...
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宗教者とは

立派な宗教者というのは、何も宗教団体にばかりいるのではなく、実業家にも政治家にも科学者の中にも存在しているのでありますが、表面立って宗教を口にしたりしない人が多くあるわけです。 「主よ主よ」というものばかりが救われるのではないとイエスが言っ...
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深く知ってもらいたいこと

私が深くみなさんに知ってもらいたいことは、人間は神の光の一筋であって、個人という形をとっているけれど、本当は個人というのは存在せず、大神さまのみ心をこの地球界に現わすために、個々の存在のように生活しながら、その天命を完うしてゆくのである、と...
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霊なる人間として生きる

在るもの、本当のものは何かといったら、神さまそのものがある。神の大生命の分け命がここに(胸をさす)あるので、分け命を称して人間というのです。肉体を称して人間というのではないのです。分け命の、霊なる命が人間であって、この肉体というのは、現われ...
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神は沈黙していない

神の存在というものは、実に素晴しいものでありまして、何ともかともいいようのない、大計画の下に大宇宙の運行がなされているのです。そして、人類はその中心者として、あらゆる星々(地球もその一員)の中で、大神さまの心を心として、計画通りに働きつづけ...
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