(つづき)そうするとやっているうちに、だんだん本心の光が外に出てきて、業生の自分が消えてゆくわけです。
すると、だんだん真剣な祈りになってくる。
知らない間に、“いつの間にか祈っている”という形になってくるんです。
“いつの間にか祈っている”というのはどういうことかというと、自分の霊身を離れた業生がなくなってきて、知らない間に想いが本心と同化しているから、ひとりでに祈りが出てくる。
だから、いつでも祈るというのは本心なのです。
本心を開くために、私なら私のような人が出てきて、「祈りはこういうふうに、世界平和の祈りをしなさい。そうすると消えてゆく姿が一日も早く消えてゆくんですよ」と教えますね。
そうすると、本当かウソかわからないと思いながら、いい加減な気持ちで祈る。
それは、業生なんです。業生が消えてゆく姿として祈っているのです。
しかし世界平和の祈りをつづけていると、いつの間にか知らない間に、業生が本心と一つになって業生はなくなり、この世の肉体の想いの波も本心の波と同じになって、光り輝いてしまうわけです。(後略)
五井昌久著『内なる自分を開く―本心開発メソッド』より