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真理の追究と現世利益⑥(完)

(つづき)それは、私が神界霊界の素晴らしい姿も、幽界の姿も肉体の姿も知っているし、貧乏な生活の人も知っているし、金持ちの生活も知っているから、いくらでも自由に説けるわけです。

ところが学問だけで説いている人は、学問のことしかわからない。

キリスト教の牧師なら、キリスト教しかわからない。聖書によらなければ救われない、キリスト教に入らなければ救われない、他は一切駄目、そんなことを言ったら仏教の人はどうなる?マホメット教の人はどうなる?他の人は救われませんよ。

キリスト教だけに入れと言ったって、それは無理なのです。この世の因縁因果がありまして、キリスト教にはどうしても入れない人もある、また仏教に入れない人もある。ところが世界平和を祈るということに入れない人はない。

”世界人類が平和でありますように”そう想わない人はない。何教であろうと、それは思えるわけです。

そこで私は、”消えてゆく姿で平和の祈り”を説いたのです。これが即ち、色即是空、空即是色なのです。

自分が悟ろうとして昇ってゆく姿、自分がよくなろうとして昇ってゆく姿と、人々を救おうという姿とが一つの祈りの中で、一つに統合されて実現されてゆくのです。

それが世界平和の祈りなのです。(おわり)

五井昌久著『空即是色―般若心経の世界』より