(前略)お祈りをするということは、神様のみ心の中に、自分の想いが入ってゆくこと。
神のみ心というのは、完全円満で大調和しています。
だから感情が祈りの言葉にのって、祈りの響きにのって、自分の本心、神様の中に入っていって、きれいに浄化され、純化されてゆくことなのです。
純化され、純化され、光り輝いた響きというものが自分の体に入ってきて、それが宇宙に広がってゆくと、人々の浄めになるのです。
たとえば感情がグーッときた。
「あっ、これは消えてゆく姿なんだな」と思う。「うちのお父さんはなんだ!」なんていう想いが湧いてきたら、これも「消えてゆく姿」と思う。
それから、「自分はダメだなダメだな、なんてダメな自分だろう」となってしまう時は、「そうだそうだ、ダメな自分というのは今までの自分で、それはもう消えていったんだな、過去の自分の消えてゆく姿」と言っていると、平静な心になる。
澄んだ明るい心になる。(つづく)
五井昌久著『悠々とした生き方―青空のような心で生きる秘訣 聖ヶ丘講話』より