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神は沈黙していない

神の存在というものは、実に素晴しいものでありまして、何ともかともいいようのない、大計画の下に大宇宙の運行がなされているのです。そして、人類はその中心者として、あらゆる星々(地球もその一員)の中で、大神さまの心を心として、計画通りに働きつづけているのです。

ところが、トンネルを掘れば、掘る人が泥まみれになってしまうと同じように、人類が物質波動の地球世界に神の微妙な波動を融合させるために、どうしても一時は、トンネル掘りの人々のように、物質波動で、霊波動・神のひびきが蔽われてしまいます。

神の微妙な波動が、はっきり地球世界に現われ始めようとしている今日では、急速に、その物質波動が霊波動に還元しようとしている、いわゆるトンネルの泥を落とすように、業(カルマ)が人類の不幸災難と現われ消えてゆこうとしているのです。人類のこの不幸災難は、神の子人間の真実の姿が現われるための、消えてゆく姿なのでありますから、消え去ってしまいさえすれば、その後には、微妙な神霊波動がこの世界にもそのまま働くことができ、光明燦然たる大調和した神の国が、この地球界にも現われ出でてくるのであります。

ですから、如何なる苦悩も神の微妙な波動に、この世が変化するまでの辛抱なのでありまして、永劫の苦悩というものはないのであります。その真理を知らない人が、その苦悩の中で、只、いたずらにもがき苦しんで、心の波をさらに粗雑な汚れたものにしてしまうので、不幸や災難の繰り返しを行なう恰好になって、いつまでたっても、人類の苦悩が消えない形になっているのであります。そして、現象的に見れば人類はすでに、救われようのない泥沼にもがいているように見えてくるのです。米ソの原水爆競争(五井先生在世当時)など、実にその最たるものです。

しかし、大神の救済の光明である、守護の神霊の大活躍は、今や救世の大光明となって、先に神霊化してしまった金星などに住む、宇宙天使群と協力して、この地球界の救済に専念しているのであります。その事実を、私は身をもってよく体験しているのです。

神は常に人間に答えつづけていて下さるのです。それを人間側の心が澄んでいないために、判らずにいるだけなのです。神は人間内部に厳然として存在すると同時に、外面的には、いつも救いの手を差しのべているのです。

五井昌久著『神は沈黙していない』より