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同行二人の生き方

人間はとかく自分で、「自分はこういうふうにやってゆくんだ」というように枠を作り、そして一応生きてゆくのだけれども、実はその通りには、殆(ほとん)どならないんですね。(中略)

自分では善いと思っていてわからないんです。それでもやりたい。自分にそういう天命がないのに、その道を通そうとすると、苦労に苦労を重ねて、終生、あせりとか、劣等感とか、卑下感に悩まされ、不遇の地位に置かれるわけです。

そこで一番いいことは、守護霊守護神にまかせることです。

いつでも守護霊守護神が守っているんだ。守護霊はもう、すぐそばについていて、守護神がその上にいて、いつも一直線に大神さまにつながっているんだから、守護霊守護神のみ心のままに、ありがとうございます、というように、守護霊守護神への感謝の心で生活していけば、必ずその人は善くなるに決まっている、とこういうふうに教えるわけなんです。

「守護霊さん守護神さんお願いいたします。私共の天命が完うされますように」という気持で、心のおもむくままにやることです。それでやりたいと思ったことをやってみる。

ところが、守護霊がそれじゃないという場合には、止めさせます。そして、違う方向へ導く。例えば、ある先生についてゆこうと思って行く途中、誰かにあって、「こちらの先生へ行きなさい」とすすめられたので、こちらの先生へ行った。するとその先生がよかった。というように、知らないうちに守護霊守護神が導いてくれるんですよ。

弘法大師も、同行二人といっていますね。人間はひとりで生きているのではない、いつも二人連れなんだ、二人連れというのは、神さま(守護霊守護神)と一緒という意味ですね。

神さまと一緒に歩いているのだから、自分の我の想いでとやかく悲しんだって駄目なんだよ。神のみ心のままに、神さまに全託した境地から歩いていけばいいんだ、ということになるんですよ。(後略)

五井昌久著『魂が大きく開く時 (聖ヶ丘講話)』より