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老子の講話②

(つづき)皆さん、子供さんを育てるのでも、ただ叱ってはいけませんよ。本当にその子を愛して、それで叱りなさい。

叱って死ぬなら死んでもいいんだ。そんななまくらで生きているのなら、死んでもう一遍霊界でやり直して、肉体に生まれ変わって来い。そういうつもりで子供の教育をしなさい。

そしたらその気迫に打たれて、子供もしゃんと直るから。

家出されちゃ大変だ、死なれちゃ大変だ、と思うことはない。そんなことで親たるものどうするか。

そんな人間などいくらいたってしょうがない。何遍でも生まれ変わって来い、と老子はこう言うのです。

なまくらで五十年、七十年生きたってなんにもならないですよ。それでは死んでるのも同じ。

生きるというのは生命がピンピン生きていること、生命が光り輝いて、それで生活してゆくことであって、ぐたぐたしているのは死んでいることと同じだから、いっそのこと、バッサリ死んじゃった方がいい。

そうすればやり直しがきくから……・。なまくらに生きているからやり直しがきかない。死んでいるのと同じような生き方をするなら、一遍死に切っちゃって、もう一遍生まれ変わった方がいいのです。

幽界でビシビシやられ、一言もなくやられ、それでギリギリ一杯のところで、ああこれは悪かった、これではいけなかった、と生まれ変わった方がいいんですね。

生きるということはそれ程、厳しいことなんですよ。今まで、皆さんはそういう話しを五井先生から聞かなかった。

しかし、生きるということは厳しく、一分一秒もゆるがせに出来ない。その厳しさに耐えて、自分を見つめて自分を鍛え上げてゆくことこそ、魂の本懐であるし、本心開発の近道です。

それを昔の禅宗の坊さんや宗祖というものは、厳しく指導し、山にこもったり、滝に当たったりして修行した。それを五井先生は、消えてゆく姿で世界平和の祈りというやさしい教えにして導いて、今日まで来たのです。

それで、今日からは、消えてゆく姿で世界平和の祈りを含めた中に、少しピリッとからしをきかせて指導いたしますからね。(つづく)

五井昌久著『魂が大きく開く時 (聖ヶ丘講話)』より