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老子の講話③

(つづき)

五井先生という人は非常に正直な人です。いつも真っ裸で、サーッと自分を投げ出している。だから悪いことは悪い、善くなったことは善くなった、と自分でハッキリ認めちゃうからね。

普通の人は中心者ともなると、老子に叱られたなんて言わないです。ちょっと気取らなきゃならないけれど、私は正直なものですから、汝の空いまだ浅しと言われたのが肝に銘じた。何言ってやがんだこの野郎、と思ってね。(笑)

と思ったとたんにスーッと空が深くなって、不退転の心がますます深くなってきた。ちょっとくらい悟ったから、自分がちょっとくらい偉くなったからって、鼻を高くしていたら、ガーンと老子に杖でぶんなぐられますから、そのつもりでいてください。

偉い自分などあったら駄目だ。偉い自分も偉くない自分もないのですよ。貧弱な自分もなければ、強い自分もない。そんなものは空々寂々(じゃくじゃく)空寂々だ。それがわかった時に本当の偉さが出てくる。

偉いとか偉くないとかいうのは、自分で決めるんじゃなくて、はたが決めるんです。自分で自分は偉いだろう、自分は少し偉くなったか、そんなことを思っているような貧弱な心では、偉くならない。わかりますね。

自分は人より偉いんだ、聖者なんだ、なんて思っている人があるかもしれないけれど、五井先生というのは、偉いんだとか、聖者なんだとか、思っていない。みんな神さまの方から言ったり、人が言ったりするんですよ。

このことは肝に銘じておきなさい。老子もそういうんですよ。(中略)

一番いいのは空になることです。自分というものがなんにもなければ、何を言ったっていいじゃないですか。神さまが言うんだからね。(中略)

自分がなくなること。自分がなくなりもしないで、形の上だけ真似したって駄目です。私事がなんにもなくなってごらんなさい。一番強い。

ここに座っている五井昌久という人は何を思っているのでしょう。世界人類が平和でありますよう!世界人類を、地球世界を救わなきゃあならない!そう思い込んでいるんですよ。

(つづく)

五井昌久著『魂が大きく開く時 (聖ヶ丘講話)』より