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地球の業想念を消し去る力(前半)

これは善いことであり、これは悪いことである、とわかっていても、自分たちの肉体生活の利害得失によっては、悪いと知りながらもやってしまう、善いと知りながらも行なえない、という弱さを人間はもっています。

良心が業(カルマ)に負けてしまうのです。法律にはふれないが、人類のために悪いとわかっていることをやってしまう人たちがどれだけ多いか、計り知れないものがあります。

その集結したものが国家と国家の戦争であり、その戦争の要因となる武力の増強であります。本当に大国がそろって武器を捨ててしまえば、そのままで平和の方向へ進んでゆくにきまっているのですが、どこの国も武器を捨てようとしていません。

それは、自分たちが神の子であり、お互いが生命の世界において兄弟姉妹である、ということを忘れているからなのです。神を愛する心も、人類を愛する心も、お互いが自分たちだけの肉体生活を守ろうとするあまり、忘れ果ててしまったのです。

自分たちが殺されるのがいやなのに、人を殺す武器を作って、多くの人を殺そうとする。そういう想いが一体どこから出てくるのか、神の子の立場で考えてみれば不思議でなりません。

そういう想いを業想念(ごうそうねん)というのでしょう。そして、その業想念を地球界から消し去らなければ、地球の平和は永遠に来ないのです。

しかし、国家という大きな広い集まりになりますと、どうしても業想念の厚みが強くて、個人個人の働きかけでは、とてもその業想念を消し去ることは出来ません。ですから、どんな平和運動も、抗議の運動も、それらの国々の今日(こんにち)までのやり方を変えることは出来ません。

そこでまず、個人個人の救われを先に考えて、自分たちを守りつづけていて下さっている守護の神霊の中に、自分の想いを感謝と共に、常に密着させていたらよいのです。

そういたしますと、守護の神霊のほうで、世界平和の祈りのような宇宙神を中心とした救世の大光明(きゅうせのだいこうみょう)のお祈りを実行させてくれるようになるのです。

この世界平和の祈りは、このお祈りを祈る時には、救世の大光明波動が、祈っている人の身体を通して、世界中に放射されているのであるから、個人が救われると同時に、その祈りが地球人類すべての人々の上に、大光明となって降り注がれ、業想念消滅の力となるのです。

本来、この世界は神のみ心だけで出来ているのですから、ここに悪の行為や、間違った想いがあれば、それは真実のものでないことは明らかです。

真実でないものは、そこに真実(ほんとう)に現われれば消え去るより仕方ありません。光がさせば闇がなくなるのと同じことなのです。(つづく)

五井昌久著『直言・提言・進言』より