(つづき)ですから、神さまの大光明をまっすぐにこの世に現わすことさえできれば、この世は救われることになるのですが、それがなかなか出来ない現状なのであります。しかし、どうしてもそれを実現しなければ、地球は滅亡してしまうのですから、その実現を計らなければなりません。
そのためには、個人が救いの道に入るのと、人類そのものが道に乗るのとが同時になされなければ、その間に隙間が出てきて、再び業の波にかき回されることになるのです。
個人が救われてから人類に影響を及ぼすということでは、もう遅い時代になってきています。
私どもの提唱している世界平和の祈りは、そこのところが一番大事なところになっていまして、自分自身が救われる身でありながら、世界人類の平和を祈る、人類愛の祈りを祈ることによって、自分も人類もともに神さまの大光明の中で救われてゆく、ということになるのであります。
それはどうしてそうなるかと申しますと、この祈り言は、肉体身の私が神体の私と一つになった時、大神さまとの約束事として生まれた祈りだからなのであります。
すべての宗教の祈り言は、神さまとの約束事(やくそくごと)でなければ、その効果がないのです。あらゆる呪文(じゅもん)や唱え事(となえごと)は、そういうところに効果があるのです。
私の世界平和の祈りは、誰にでもわかりやすい言葉で、誰にでも行じてもらうために生まれた唱え言なので、真実性が溢(あふ)れているのであります。
子供でも老人でも、世界人類が平和でありますように、という意味のわからない人はありません。そして、今日でなければ役に立たない祈り言だったのです。
何故かと申せば、日本の戦国時代にこの祈り言を提唱したところで、そんなこと、この弱肉強食の強いもの勝ちの時代に馬鹿ゝしいということになりまして、てんで話しにもなりません。
また、ずうっと現代現代に近い明治の時代にしても、世界中にまだ核爆弾のような、眼にみえて一発で地球の運命が決まってしまうような、ものすごい爆弾は出来ておりませんでしたので、まだこの世界平和の祈りを、人々が取り上げるような状態ではありませんでした。
今こそ、世界平和の祈りが世界中で取り上げられる時期でありまして、今、この運動を拡大させなければ、地球は滅亡するよりほかに方法はないのです。
そこで神界では、すべての神々が集まられて、救世の大光明という、いかなる業(カルマ)をも消滅させる力を、地球人類に差し向けていて下さるのです。
その上、他の先輩星の天使たちが、様々の方法で地球救済を応援していて下さるのです。
私たちは、世界平和の祈りを根幹にして、個人人類同時成道の道を突き進んでゆくのであります。(おわり)
五井昌久著『直言・提言・進言』より