(つづき)その原因は何かというと、想いなんです。私がいう業想念、自分の肉体を守ろうとする、自分の家庭を守ろうとする想い、自分で守ろうとするから不安が出、欲張りも出、もろもろの想いが出るわけです。
人間というものは、この世に生まれたからには、夫が出来ようと、子供が出来ようと、それはみんなこの世に生んでくれた神さまがやってくれるんだ、ということに気がつかなきゃいけません。
みんな神さまがやって下さるんだ、というふうにならないと、いつまでたっても不安があります。いつまでたっても業想念が消えないんです。
それで私は先に神さまがわかった。ああ神さまってこういうもんだ、ということがわかった。
それでこの肉体界を一度おさらばして、向こう(天)へ行っちゃったんだ。そして、直霊と一体になって、今度改めて入って来て、「さあ、私がやって来たんだから、私のことを想いなさい」と言うわけです。
「みんなあなたの不安を何とか取ってあげましょう、業想念を預かってあげましょう、さあいらっしゃい」って、私はみんなの業想念を取ってあげる。
そうすると向こうは(みんなは)だんだん業想念が減ってゆく。少なくとも、私のところへ来る前よりも、私のところへ来てからのほうが、心配苦労はなくなっていることは確かなんです。
だから、かまわず五井先生に預けちゃうほうがいいです。あなたのお荷物(業想念)を私が預かってあげますから、お荷物預かり所だと思って、業想念というお荷物をみんな預けちゃいなさい。
私がみんな持ってあげます。そして、空っぽになって、きれいに光を入れる。
そうすると、また業想念が戻って来ても、それは自分(※1)で受けられますよ。光が強いから、そんなものなんでもなく自分で消せるようになる。(※1守護霊守護神と一体の自分。業想念の自分ではない。)そのために五井先生が来ているんです。
五井昌久著『私に荷物を預けなさい (聖ヶ丘講話)』より