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消えてゆく姿の使い方(前半)

どんなよい言葉でも他の言葉との組み合わせによっては、悪い意味に思われてしまうことがあるものですが、宗教の言葉などにも、そういうことが随所に出て参ります。

例えて言えば、消えてゆく姿という言葉ですが、この言葉はうちの教えの中心ともなる救いの言葉なのですが、こういう素晴しい言葉も、心ない使い方によっては、その言葉の本来もっている愛の心の反対のひびきを人々に与えてしまうのです。

消えてゆく姿で世界平和の祈り、というのは、うちの会独特の言葉でして、この言葉で今までの宗教的束縛から解放されて自由な心になった人がどれだけあったか計り知れません。

今日まで現われている不調和な環境や困った状態も、今そこでつくられたのではなく、過去世からの神の正しいみ心から離れていた想念行為がつくりあげてきたもので、今日それが表に出て消えてゆこうとして現われたのだから、人間本来の神の子の光と、守護の神霊の光明とでそれを消し去ってしまえばよいのだ、その為にも世界平和の祈りが必要なのだから、世界平和の祈りを祈りつづけなさい、と私は教えているのでありますし、今他人の口から出てくる悪い言葉や行為や、自分の心に浮かんでくる悪い不調和な想念なども、みんな過去世につくられたものが、ここで消えてゆこうとして出てくるのだから、そうした言葉や行為にとらわれないで、ひたすら、消えてゆく姿として、世界平和の祈りの中へ心を入れてしまいなさい、そうすれば必ず、過去世からの業因縁として現われてきた悪や不調和の影は、守護の神霊の光明のひびきによって消されて、その人の本心が明るく表面に現われてきますよ、と私は説いているのです。(つづく)

五井昌久著『真の幸福』より