(前略)高い建築物と、相次ぎ行交う自動車、ひびき合う騒音、人間はこうした中を、天(そら)の美しさを見失い、大地の広やかさを忘れて、押し流されている。人間の築き出した生活の中に、自然は次第に忘れられてゆく。
天空に流れている自然の生命、大地に溢れている自然の滋味、そうした自然の生命が、人間生命の中に、流れ来り、融け入り、そして、一個の人間の深い味わいとなっていることを、文明開化の社会生活は、いつしか、人間から忘れさらせようとしている。
天空は、晴雨というそれだけのためにあるのではない。大地は農民のためにだけあるのではない。天地は全人類のために一瞬も欠くことのできない絶対なる存在である。
天候に感謝しても、天空そのものに感謝する人は少ない。まして、農民を除いて、日々大地に感謝して生きている人がどれ程いるであろうか。
天地なくして我々は存在することができない。暴風雨、天変を恐れるより天に感謝することである。地震を恐れるよりも先に、大地の恩に感謝せねばならない。
人間は何よりも先に、天地自然の大恩に感謝し、父母に感謝し、自分に触れるすべての人々、事物に感謝すべきである。
そうした想いを根底にして、はじめて、文明開化の様々の恩恵が、真実の姿として生活に生きてくるのである。
神仏への信仰は、こうした心構えが、その最初の出発点であり、最後の帰着点でもある。
五井昌久著『神への郷愁』より